人生のスパイスが欲しい。

自分にも貴方にも、私は力になりたいのです。

ありのままの自分を誇ること

今日は自分の実体験について話をしようと思います。

今この瞬間の私。

大学三年生です。ですが受験の反動と中高六年間(中高一貫校でした)の反動でか大学入って一年二年は自堕落な生活を送っていました。だからこそ三年になった今何か就活でネタになりそうなものも無くて困っていて、あれしてみようこれしてみようとヤケになっている気がしております。

今も就活を控え漠然とした悩みを抱えて頭の中はぐちゃぐちゃになっているんです。でもまずは心を落ち着けて、事実と気持ちを整理したいと思いこの記事を書き始めています。まずは落ち着くところから、紅茶など温かい飲み物がいいと思います。

 

今の自分を形成した過去の体験。

結論から言うと、私は自分の悩みを一切人に話さない、話せない、『良い子』を演じて生きてきました。誰にも迷惑を掛けないように、誰も私のことで困ることがないようにして生きてきました。今では多少マシにはなりましたが(母に今までのこと80%位打ち明けたから)、完全には治ってないですよ。

 

miraigo.hateblo.jp

この記事で触れたとおり、私には兄が一人おります。両親は二人とも健在で、恐らく裕福な方の家庭だと思います。お金には然程困ってはおらず(無駄遣いはしていませんよ!)、子供の願いは基本叶えてくれる優しい親です。私はとても感謝しております。

・・・今はね。今この年になってやっと親の有難みを身に染みて感じているのです。

遡ること小学生。私は兄と非常に仲が良く、家の中で卓球をしたり野球をしたりしていました。夜は夕飯を食べ終わってから二階で父と私と兄とでトランプをしていました。ですが、そういう日もあったというだけで父のことは昔から恐怖の対象でした。

父はすぐに機嫌が悪くなる人で、仕事のストレス?で機嫌が悪くなったりご飯やテレビなど本当に些細なことで機嫌が悪くなる人でした。そんな父の機嫌をとろうと母は自分のできる範囲で、家事などを精一杯やっていました。私はその母を間近で見ていましたから分かるんです。母はとても頑張っていました。ですが母は精神的に強くなく、度々泣いている姿を私は見てきました。だからこそ私は迷惑を掛けないようにしなければならない、と幼いながらに考えていました。

時は経ち、やがて兄の中学受験が始まり、母は父の機嫌をとりながら兄の面倒を見るようになったため、私の覚悟はより一層強くなりました。私も数年たてば中学受験本番という時期ではありましたが、そんな環境であったので悩み事などは一切話せなかったです。ちなみに百歩譲って相談するとして、できる相手は母だけです。父にはできません。

悩み事の具体的な例としては「いじめ」です。けして水を掛けられたり机に落書きをされたり、そう言ったハードないじめではありませんでした。ですがあまり友達に相手にされなくなった時期がありました。今でもその理由は分かりません。何か気に障るようなことをしたのか、沢山考えてみたものの原因は全く分かりませんでした。でもこの悩みを母に相談することはできませんでした。1人で夜泣いて、気付かれて「どうしたの?」と声を掛けられたことはありましたが、虐められているということを言ってしまえば母を困らせてしまうだろうと思っていましたから「なんでもない」と応えていました。今となっては当時の傷も癒えて平気ですが、ですが傷は癒えても考え方は何ら変わっておりません。

受験を終えて中学に入りました。家から遠い学校でしたので朝5時に起床し6時に家を出るという生活が始まりました。(あの頃の私に拍手です・・・。よく頑張ったと褒めてあげたい。)人見知りということもあって入学から一週間、二週間経っても友達はできませんでした。お昼は始めこそ班といって席の近い子と机をくっつけて御飯を食べるのですが、そのシステムも早くに崩れ、しばらくは1人でご飯を食べていました。1人というのが怖くてトイレで食べたことも・・・。自分が情けなくてどうしようもありませんでした。(書いてて泣けてきた。)そんな生活も、同じクラスだった子にいつの日か助けられ(一緒に食べようと誘ってくれました)、夏休み入る前には終わったのですが、やはり当時は辛くて辛くて、ご飯ものどを通りませんでした。この事も悩みはしましたし、学校には行きたくないと思って家で泣いていましたけれど、母に相談は一切しませんでした。(数年経った今、母と話をして知ったのですが、実はこの事実は担任の先生が母に電話をしていた為、母は知っていたようです。それでも母は私が相談してくれるのを待ってくれていたのです。)

中学に入って電車通学をすることになり、痴漢にもストーカーにも会いました。盗撮をされたこともあります。この頃は時期も時期だったことで非常に辛かったです。でも誰にも言えませんでした。困らせてしまうと思ったからです。「親は子の悩みを聞いてあげたい、相談に乗りたいものだ。相談してくれたらうれしい。」と言うような話もネットを見たりして知りましたけれど、それでも今更自分の頑張っていたことを、生き方をやめるようなことを、覚悟を壊すような行いを、私はできませんでした。

夜中一人で泣いて、それでもどうしようもなくて、「心のノート」のようなものを作りツラツラと心境を綴ることで堪えていました。(十年程経った今でも恐らく家族誰にも見つかっていないと思います。現在7冊目。)

高校生になって自分の進路を考えるときなど、悩みは尽きません。終わったと思えばまたすぐに次の問題がやってくるのです。

それでも、「どうしても」「話を聞いてほしい」「親には逆らえないからこそ話を聞いて許可が欲しい」とか、そういう場合は話をしました。大学受験の志望校とかですね。理系と言うことに反対されることはなかったですが、「どうせ目指すなら目標は高い方がいい」とK大(ご想像にお任せします。)を第一志望にしなさいと言われた時ですね。

まず第一に、本当は家から離れたとある大学に魅力を感じていたのです。「○○学部○○学科、いいなぁ」と思っていました。ですがその時兄は既に大学受験を終えていて地方の大学に進学しており、家には父と母と私だけでした。ある日母が親戚の方と電話しているのを聞いてしまったのです。「(兄)は遠くに行ってしまったから、(私)は家にいてほしい、遠くに行かないでほしい」と。真っ先に私が気になっていた大学への進学を諦めましたね・・・。説得するにしても100%の熱意はなく認めてくれるとは思えなかったからです。それならば何も言わない方が困らせないと思いました。この想いも早くに消滅することを願いました。

私は兄に比べて出来が悪いもんでしたから、そんなの無理だとすぐに伝えました。しかし、「あなたならできる」「まだ高校一年生、これからの努力でなんとでもなる」など様々なことを言われ、最終的に言い包められました。実際高校二年生までは志望校を決めようが願書を出すわけでもなかったので「そういう設定」で乗り切りましたが、高校三年生になってからは違いましたね。

まず問題が解けない!というね。それとK大に魅力を感じなかったんです。負け惜しみか、受かりっこないという理由欲しさの言い訳だったのかもしれませんが、本当に致命的でした。私は「頑張れば手が届くだろう」という位の目標が欲しかったんです。「届きっこない」という程の目標は自分を苦しめるだけでした。それが夏休み後も分かってもらえなかったんですよね・・・。本当に辛くて辛くて、声が出なくなった時期がありました。きっと言いたいことはあるのに言えなくて、咽に負担がかかったんでしょう。実際ものすごく痛かったです。これはもう、ヤバイですね。体に現れちゃってますから。人に迷惑をかけるとか以前に、言わないと自分が死ぬと思いました。

今でも覚えています。2013年10月1日でした。目は涙で腫れ、久しぶりの声は震えまくりで聞き取りにくかったと思います。第一声は「お母さん」。それなのに「お゛・・・かあ゛・・・さ・・・ん゛」としか言えませんでした。「辛くて辛くてどうしようもない、相談できなくてでも自分でどうにもできないから勉強に身が入らない、何もできない自分が情けない、母を困らせてしまうが生きる為に打ち明けている自分が醜く恥ずかしい」、本当に本当にしょうがなかった。全部全部聞いてもらいました。ありがとう。

それからは母も考えを変えて私のしたいようにすればいいと、あなたの人生だからと言ってくれました。それからは勉強のことで悩むことはあっても、意見の対立で悩むことはなくなり、浪人の危機もありましたがなんとか現役で行きたい大学から合格を頂くことができました。

余談ではありますが、父も私の受験の時は大変心配したようで、こんな言葉を頂きました。

「今まで頑張ってきたのは知っているから。あとはどう転んでもしょうがないって、だから緊張するなっていうのは無理な話だけれど、明日(受験日)は思いっきりやってきなさい。」

大学に入ってからは父の機嫌が極端に悪くなることは少なくなり、またこの言葉もあったことで恐怖の対象ではなくなりました。まぁ、それでも相談はできないんですけどね。

 

非常に長くなりましたが。

私は、自分でどうしようもなくなった時にしか親に相談できない人間です。自分のSOSを人に伝える能力が極端に低い人間です。

そういう方、他にもいらっしゃるんじゃないでしょうか?親の機嫌や顔色をうかがい生きている方。でもそうやって生きてきた期間が長いのならば尚更、変えることは中々難しいです。だってそういう風に何十年も生きてきたんですもん。途端に明日から変われるかと言われればそれは無謀な話です。

だからこそ大事なのはきっと「ありのままの自分を誇ること」だと思います。

今まで生きてこれたのは奇跡です。私の場合悩みや不安で病んでいましたし、うつ病の気すらあったと思います。実際、私は適応障害なのではないかと思ったことがありますから。こんな自分でも生きてこれたのです。それは何より素晴らしいことでその事実をもっと受け止めて自信にすればいいのではないでしょうか。ええ、口で言うのは簡単です。事実私は未だ自分を誇れません。自己肯定心が極端に低いように思います。でもそれが私なんですよね。

だからまずは自分と向き合って、その事実を受け入れせんか?その姿がどんなに情けなくたって、まずはその姿で今日の今日まで生きてきた自分を褒めてあげませんか?

私も頑張ります。生き方や情けなさは分かったけれどなるべく悲観しないように、今できる範囲で頑張ろうって思います。